「いいぞ。言語化できてる」
日本サッカー協会が、JFAアカデミーという育成機関をつくったときの話です。
中学・高校の6年間を対象としたエリート育成プログラムで、海外の強豪国、とくにドイツの育成システムも参考にされたといいます。
ある練習中の場面。
ミスにつながるパスを出した選手に、コーチがこう尋ねました。
「どうして、つながらないパスを出したの?」
日本の子どもたちは、黙ってコーチの目を見ることが多かったそうです。
自分なりの答えを探すというより、「正解」を待っているように。
一方、ドイツの子どもたちは違いました。
「だってペーターは足が速いんだから。そこに走ると思ったから」
即座に、言葉が返ってくる。
このエピソードを紹介していたのが、
田嶋幸三さんの『「言語技術」が日本のサッカーを変える』という本です。
言葉にしておかないと、失敗を繰り返さないための解決も改善もできない。
何となくボールを蹴るのではなく、プレーの意図を「言える」ことが、成長に不可欠なのだと書かれています。
なるほど、と思いました。
実際、JFAアカデミーでは、実技だけでなく「言語技術」もカリキュラムに組み込まれているそうです。自分の思いを言葉で表現するための作文や、みんなの前で話すことに慣れるためではなく、「仲間に自分の考えを理解してもらう」ためのスピーチの練習などです。
そういう教育を受けた選手たちが、日本代表になっていくのだとしたら。
日本サッカーは、確実に変わっていくのだろうな、と思っていました。
それからしばらくして、少し驚く出来事がありました。
たまたま読んだサッカー漫画『アオアシ』に、まさに同じテーマが描かれていたのです。
試合後、コーチが主人公の少年に、最後のゴールシーンについて質問をします。
最初は「わからない」としか言えなかった少年が、必死に自分のプレーを説明しはじめる。
その様子を見て、コーチがつぶやきます。
「いいぞ。言語化できてる」
まさかサッカー漫画の中で、
しかもごく自然に「言語化できてる」というセリフが出てくるとは思いませんでした。
別の場面では、こんな厳しい言葉もあります。
「時に見せる素晴らしいプレーも、自分のことなのに、一つとしてきちんと振り返って説明できまい。言語化もできないようなプレーなのだ。それでは、別の局面での再現もままならない。それでは駄目なんだよ……」
この漫画は、Jリーグの下部組織を丁寧に取材して描かれているそうです。
つまり、「プレーを言葉で説明できること」は、すでに特別なことではないのかもしれません。
(ちなみに『アオアシ』は2025年8月に40巻で完結しました。成長物語としてだけではなく、あらゆる角度から「考えるとは何か」を追求している、とても読み応えのある漫画です。)
この話を、研修でも紹介するようになりました。
受講者が自分の経験を言語化する演習に入る前に、「今の子どもたちは、これが普通みたいですよ」と言ってプレッシャーをかけます。
するとある研修のあと、30代の受講者が声をかけてくれました。
「実は、プロのサッカー選手を目指していました」
Jリーグの下部組織に所属していたそうです。
彼の話が、印象的でした。
「さっきの漫画の話、本当でした」
「うまいやつは、ただうまいんじゃないんです。めちゃくちゃしゃべるんです」
試合のハーフタイムや終了後、
「お前、あの時なんであそこに走った?」
「こっちに動いてたら、ここにパスが入っただろ?」
と、次々に問いかけてくる。
自分が覚えていない場面まで、全部言葉にできる。
「ああ、プロに行くのは、こういうやつなんだと思いました」
と言っていました。
その後も、似た話をいくつも聞きました。
ラグビー、バレーボール、野球。
チームスポーツほど、プレーの言語化が重視されているようです。
最近の若手選手のヒーローインタビューが、やたらとわかりやすいのも、偶然ではないのかもしれません。
どの競技でも印象的だったのは、
「失敗したとき」だけでなく、「うまくいったとき」こそ、言語化しようとしている点です。
たまたまうまくいった、では再現できない。
なぜうまくいったのかを説明できて、
それを共有できて、はじめてチームは強くなる。
では、仕事はどうでしょうか。
あなたの会社では、
失敗やトラブル対応のあとの反省会に、どのくらい時間をかけていますか。
その一方で、
良い結果が出た仕事については、どうでしょう。
「よくやったね」の一言で、終わっていませんか。